昨日、尿管結石の2度目の対外衝撃破砕石術で入院・・の予定でした。
入院前の検査が終わり診察を受けたのですが、思いがけないことを言われました。
「石、もうないみたいなんだけどいつ出たかわかる?」
「えっ!?このあたりでまだ疼く時があるのでまだ中にあると思うのですが。」
「レントゲンでみる限り石はもうなさそうなんだけど違和感があるの?じゃあちょっとエコーしてみようか。」
隣の部屋に移動して検査、念のためにと反対側の腎臓も調べてくれました。
「うん、腫れもすっかり治まってるし傷もなさそうですよ。前の手術で石にヒビは入ってたから、砕けて自然排出されたのだと思います。入院はなしでいいですよ。もしまた痛みがあったら来てもらうという形にしましょう。一番いい形で排泄できてよかったですね。」
「あ、はい・・ありがとうございました。」
気合いをいれて入院準備をしてきた分、ものすごい肩透かしをくらった感がしたけれど、手術中のあの痛みに耐える必要がなくなったのはすごく嬉しかった。
診察室を出てすぐ、待合室にいた主人に入院がなくなったことを伝えに行くと、やはりものすごくほっとした顔をしていました。
主人も「思春期で反抗期で自分にとにかく当たりがキツい娘と二人っきりで過ごす」事に相当な覚悟が必要だったでしょうから(笑)
帰りの車の中で「なんだか不思議な石だった。伝える事だけ伝えて消えたような感じ。違和感が残ってたからまだ中に石があるとずっと思い込んでた。でも、もし石が出たことに自分で気が付いてしまっていたら、あの日実家に行く事はよほどの事がない限りなかっただろうから母の発見も遅れてしまっていたかもしれないんだよね・・」と話しました。
「まぁ、お義母さんのことはたまたま偶然が重なっただけだと思うけど。違和感は多分何か月もその場所に石があったわけだから、あったところのものがなくなったことによる違和感じゃないか?」
さすが正論大王。ぐうの音も出ないわ(笑)
当初2度目の手術は9月の中旬に予定されていました。
しかしその週主人は夜勤中。娘を夜に一人にしておけないとさらに一ヶ月先延ばしにしたのです。
一度目の手術前と違って今回は痛みがほとんど出なかったので日常生活は普通に過ごせていました。
「もしかしていつの間にか出たのかな?」と考えると、なぜかいつも右の腰付近に痛みが出てきます。
なのでまさか自然排泄されていなくなってたとは微塵も思っていませんでした。
入院の2日前、入院に必要な保証人の署名をお願いするために実家の隣の敷地にいる兄のところに出かけました。
ここ最近、母とのやりとりはもっぱら電話ばかりだったので久しぶりだし実家にも寄っていこうと思っていました。
署名を書いてもらったあと、実家の方に行きましたが玄関には鍵がかかっていました。
ひょっとしたら裏の方にいるかもと敷地内を一周しましたが姿はありませんでした。
最後にインターホンを鳴らしてみましたが出なかったので留守では仕方ないと帰る事にしました。
母は時々近所の人や知り合いの人に誘われて喫茶店などに出かけることがあるのできっとそれでいないのだろうと思ったのです。
しかし、普段ならそのまま帰っていく私が、なぜかこの日だけはもう一度兄のところに寄り、母が留守している事を告げてから帰っています。
今でもなぜ寄っていったのかよくわからないのです。ひょっとしたら無意識になにかおかしさを感じとっていたのかもしれません。
帰宅途中、遠くの方で聞こえた救急車のサイレンの音を聞いたとたん、急に気持ちがざわついて落ち着かなくなりました。
私は自宅に戻ってすぐ実家に電話をいれました。心のどこかで母が出てくれますようにと願いながら。
しばらくしてガチャリと電話に誰かがでました。「もしもし!?おかーさん!?」
しかし電話に出たのは兄でした。
兄は私から留守と聞いて『いつもでかける時はちゃんと言ってくるのに』と思い、私が帰った後に合鍵で実家の玄関を開け、寝室で動けなくなっている母を見つけたのです。
あきらかに様子がおかしいのに病院に行きたがらず「一晩様子をみたい」と言い続ける母を兄が必死で説得して救急車を呼んだのだそうです。
母は病院に救急搬送され、一命はとりとめました。
私があの場で気が付くべきだった。そうすればもう少し早く病院に行けたはずなのに・・自分の鈍さが本当に情けなくなりました。
でも兄夫婦や姉が普段から母を気遣っているからこそ、私が何気なく言った一言でも母の異変に気が付けたのだと思います。
あと私では病院嫌いの母を入院させることはまずできなかったと思います。
おそらく母に「嫌だ」言われ続けたら引き下がってしまっていたでしょう。
これからいろいろ大変になりますが・・なんとか母が自宅に帰ってこれるようにしていきたいと思っています。
ここから少しだけ余談というか一人語りです。
1回目の手術でヒビが入ったのになぜか出てこなかった結石。
もし手術が予定通り9月にされていたら、よほどの事情がない限りこの日に私が実家に行くことはなかった。
あと、石が出た事に自分で気が付いてしまっていても同様だったと思う。
石がいつ消えたのかはわからないけれど、時々感じる痛みと違和感が「まだ残っている」と私に思い込ませていた。
だからあの日、私はする必要もない入院手続きのために実家に向かった。
結石絡みの偶然がいくつも重なって今回の発見につながったというのがなんとも言えず不思議な感じ。
まぁ・・娘の疾患も、ものすごい偶然がいくつも重なったうえで奇跡的に辿り着いたものだから、今回も偶然の積み重ねに救われたんだなと私は思っている。
もし月曜日に実家に行っていたら、その時はまだ母に症状が出ていないので気が付かないまま帰っていたと思う(症状が出たのは風呂上りでした)
もし水曜日に行ってたら最悪の事態になっていた可能性がとても高かった。
火曜日に実家に行けてよかった・・例えベストの状態での発見ではなかったのかもしれないけれど最悪の事態だけは避けられたと・・私はそう思いたい。
なんというか・・結石が自然排出されたというのでなく違和感だけ残してそこからふと消えてしまったという方がなんとなくしっくりくる感じ。
ただ、すごく痛かったのは事実だから結石ができてよかったとは口がさけても言わないけど・・今は結石に感謝してる。
ごめんね・・呪いの石だなんて思ったりして(汗)