これは悪夢になるのかな

今週のお題「夢」

今回は寝ている間に見る「夢」の事を書きます。


若かりし頃は社畜だった私。

平日は事務所で仕事、土・日・祝は現場に出て仕事でした。(休みって何?それおいしいの?という勤務体制)

現場の仕事はちょっとしたミスが命取りなのですが、繁忙期にそこで大きなミスが発生してしまいました。

ミスの後処理が終わった頃から、その現場に行く前日になると必ずある夢を見るようになりました。

現場でなにかしらのミスやトラブルが発生する夢です。

ただ内容はいつもバラバラでした。遅刻したりとか操作ミスとか、想定外の事が起こったりとか多種多様。

その日入る予定のスタッフが来ないという夢を見た時は「うわー!どうしよう!」と叫びながら飛び起きましたね💧

とにかくいつもリアルすぎるので目が覚めた時に「え?これ夢?私、これからまた仕事をしに・・?」と泣きたくなることもありました。

ただ「夢のようにならないように気をつけなきゃ」と気持ちを引き締めて仕事に行けたのはありがたかったですね。 特に想定外のトラブルの夢に関しては、ミスを事前に防ぐために参考になるような場面も出てきましたから。

はたしてこれを悪夢と言ってしまっていいのか・・とても心臓に悪い内容だったのは確かですが。

ちなみにその現場に行かなくなってからパタリとそれらの夢は見なくなりました。

抱っこができない

愛猫 黒猫無垢の話 14

私の実家は古民家と言えるかどうかわからないけど、とにかく築年数が古い家でした。

仏壇に江戸時代の位牌があったり古銭があったり、伊勢湾台風の影響でほんの少し家が傾いてたり。

あと、たまに天井からムカデが落ちてきました(地獄)

古い家だったので至るところに隙間や抜け道があり、好奇心旺盛なお年頃になった無垢が外に出てしまうことを防ぐのはほぼ不可能でした。

外の世界を知ってしまった無垢は、私の帰宅を『家を抜け出すため』に待つようになりました。

無垢が出て行ってしまったら、入ってくるまで玄関の扉を少しだけ開けて帰ってくるのを待たなくてはなりません。 なので、仕事から帰ると玄関前で必死の攻防が繰り広げられる事になります。

たまに玄関ではなく勝手口や離れと母屋をつなぐ通路の扉からそっと入ろうと試みましたが、気が付いた無垢がものすごい勢いでこちらに走ってくる気配がします。 当然猫のすばやさに人が勝てるわけもなく、一瞬の隙をついて外に出ていかれることがほとんどでした。(ほぼ私の負け)

外には野良猫がいてケンカになることもあったので、帰ってくるまで心配で心配でたまりませんでした。 首輪の鈴の音がチリン♪と玄関の方で聞こえると「よかった~これでやっと眠れる」とほっとしたのを覚えています。


外に出して大丈夫?と思われるかもしれませんが、実家がある町は35軒ほどしか家がありません。ご近所さんみんな顔見知りです。

人口も少なく店どころか信号のある交差点すらありません。

道路はほぼ住民の車(か農耕機)専用。なので無垢が外に出ても事故にあう心配はほとんどありませんでした。

車よりも怖いのは・・むしろ人でした。

最初の頃に書きましたが、実家周辺は猫が捨てられやすい環境で野良猫が多く、自宅内を荒らされる事がよくあったため、猫を毛嫌いしている人がとても多かったのです。

外に出はじめた頃の無垢は、人に対して全く警戒心を持っていなかったため、猫嫌いの人からとんでもない目にあわされてしまったのです。

無事だったからよかったものの・・一歩間違えれば命を落としていました。

その日、私が仕事から帰ってくるなり母が大変な事があったとまくしたててきました。 「外に出ていった無垢が全身水浸しで帰ってきたの。首輪も外れてたのよ。用水路に滑ってうっかり落ちちゃったのかと思ってたんだけどね・・」

母が慌てて無垢の身体を水道水で洗ってタオルで乾かそうとしていた時に、畑仕事の帰りに時々うちに寄って母と世間話をしていく近所のおばあさんが訪ねてきたそうです。

その人を見たとたん、無垢が今まで聞いたことのない鳴き声で唸りだし、ぶしゃああああああーーーと空気砲を出し始めたそうです。 無垢を見てあきらかに動揺するおばあさん。なにやらもごもご言いながらそそくさと帰っていったそうです。

「畑で寝ていた無垢をつかまえて用水路に放り込んだんだって。すべって用水路に落ちたにしては顔まで水浸しだからおかしいなと思っていたんだけど・・首輪がないから野良だと思ったって言ってたけど、それでも用水路に放り込むなんて!」

首輪は窒息しないよう外れやすい仕様になっているものを買っていました。 ひょっとしたらつかまえる時に首輪を持ったか何かして外れたかもしれません。 無垢が人間をまったく警戒していなかったから、初対面のおばあさんでも容易に捕まえられたのだと思います。

その時期の用水路はせき止められていてとても深く、岸にあがれなければ人間だって溺れる危険があります。 運よく岸にあがれたから無垢は助かったのでしょう。

無垢はその件があってから、たとえ家族でも抱っこされるのをすごく嫌がるようになってしまいました。

白毛

愛猫 黒猫無垢の話 13

無垢が子猫の頃は簡単に撮影できる物がなかったため写真がありません。 フイルム(←わかる?)が残ってるカメラとか『写ルンです』(←商品名)で撮るぐらいしかできなくて、そこからさらに写真屋さんに現像してもらいに行かなくてはならない時代でした。

携帯電話が手元にきた頃はもう無垢は高齢になっていて白毛まじりの写真ばかりです。 今はほんといい時代だなぁ・・

若かりし頃の無垢はつやつやの毛並みで肉球まで真っ黒。ただ胸元にちょっとだけ白い毛が生えていました。 目はヘーゼルかゴールド?よくわかりませんが黄色っぽい色でした。

毎回首輪は赤いものを買ってきていました。なんとなく似合いそうな気がして。 ネットで猫の画像をみると結構赤の首輪してる黒猫ちゃんが多いので、あの頃の選択は間違っていなかったと思います。

晩年まで首輪を買っていくのは私の役目でした。 外から帰ってきたのがわかるように必ず鈴付きの首輪を選んでいました。

初めて首輪をつけた時はものすごく嫌がって暴れましたね。 なんとか外そうと必死で転げまわってました。

そのうち慣れておとなしくなりましたが、たまに外そうともがいている姿を見かけました(かわいい) 外に出ていってしまうので首輪は必須なのです。

10歳を過ぎた頃から少しずつ身体の部分から白い毛が生えてくるようになりました。 晩年は、鼻の先はほぼ真っ白になっていました。

歳をとると面倒くさいのかグルーミングをしなくなり毛並みがバッサバサ。 その時は歯ブラシ使ってブラッシングしていました。

歯ブラシの毛先がネコの舌先の感触に似てるらしくて全然嫌がらず気持ちよさそうでしたね。 毛並みもツヤツヤになるので短毛種のネコちゃんにおすすめです。

思い出がいっぱい

兄から「実家に残っているものを処分する前に必要なものがあったら持っていってほしい」と連絡がきました。 それを聞いた娘が「久しぶりにばあちゃんちに行きたい」というので荷物持ちとして一緒に来てもらいました。

実家は母がなくなってからずっと空家になっていました。 敷地内に兄のラボがあるのでたまに空気をいれかえてくれています。

故郷は区画整理で景色が様変わりしています。子供の頃に遊んだ自然はまったくなく今は地面ばかり。 以前は木々に囲まれていた神社は大きな木を1本残してほぼむき出し状態でなんとも心許ない。

母の畑も、無垢が休んでいた裏庭も今はもうありません。

いよいよ実家を壊すのかな・・景色だけでなく故郷までなくなるのか。 もう何もかもが私の記憶の中の思い出だけになってしまうのかと寂しくなりました。

実家に到着してすぐ、娘と二人でアルバムや写真などあらかじめまとめてくれてあったものをバッグに詰め込みました。

私の結婚式の写真を見て「とうちゃんの隣にいるの誰?」と娘に聞かれた時は『えっ!私よ私!』と叫んでしまった。

姉が「すごいよね、かあちゃん詐欺師やで」と笑いながら言っていましたが・・詐欺は言い過ぎやろ詐欺は。

いや、でもまぁ・・そう言われても仕方ないか。この辺りの景色と同じくらいまったく面影ないから💧

キッチンに行くと、母が使っていた菜箸を見つけました。

本当はとっても長かったのに、毎日使いこまれて今はもう普通の箸ぐらいの長さになっています。

料理が苦手な私はその菜箸をそっとバッグにいれました。

娘が「これいい?」と持ってきたのは、無垢の写真と首輪。 『ここに残しておくと処分されるから連れて帰ろう』

知らない家に連れていかれて無垢は困るかもしれないけどね。

「あと、このお皿も。ばあちゃんブロッコリー出す時にいつもこの皿だったから。」 母が畑で作っていたブロッコリーは、市販の物と形が違っていてやわらくてすごく美味しかった。

娘は「もう食べられないけどせめてこのお皿でブロッコリーを食べたい」と言います。 あのブロッコリーなんていう品種だったんだろう・・聞いておけばよかった。

お皿以外にもキッチン用品で足りていないものとかラップなどの消耗品をバッグにつめていきました。

帰り間際、お義姉さんから「実はね、息子家族がここに住むことになったの。それで急だけど残っているものを取りに来てもらったの」と言われました。

『東京という便利なところに住んでいたのにこんな田舎に来ちゃって大丈夫?』住んでたからわかるのよ不便さが💧

「『ここで過ごすの好きだったから』って言ってたから大丈夫じゃないかな」とお義姉さん。

甥っ子のその言葉がなんだかすごくうれしかった。

思い出の話でもうひとつ・・現在、娘が子供だった頃のブログ記事をひとつひとつ非表示にしていく作業をしています。

少し前に「ブログを書く理由」で書いたのですが、娘の年齢的な事もあり非表示にしています。

なんか忘れてることも結構あって、そんなことあったな~と笑いながら作業しています。

(今だから笑えるけれど当時は笑えなかった話が多い💧)

結構たくさん書いてた時期があってなかなか作業が終わりません。これあと何年分ぐらいあるんだろう?

2回ほど記事がお金になった事があったけど、もしあのまま書く事に本腰を入れてたら今とはまた違ってたのかな。

今からでも遅くないかな・・

でも若い頃の文章の方がキレッキレで好きなんだよな~特にmixi。あの頃のような文をまた書きたい 笑

帰宅10分前の不思議

愛猫 黒猫無垢の話 12

勤めていた会社の経営が軌道にのりだし、個々の仕事が増えてさらに忙しくなってきました。 再び自宅に帰れる時間がバラバラになり、時には深夜に及ぶことも出てきました。

『早い帰宅時間だと、無垢が玄関で座って待ってくれているぞ。』(モチベーションアップの呪文)

この姿を見たいがために必死で仕事を済ませようとする気持ち・・おわかりいただけるでしょうか。

『ただいま無垢ちゃん。今日も待っててくれてありがとね』 遊んでほしいのか、私の後をチョコチョコついてくる無垢。

ほんと・・尊すぎるんだが・・(鼻血)

母「おかえり。ご飯すぐ食べるでしょ」

母が温かい食事を準備してくれていました。

『そういえば・・早く帰れた日はいつも絶妙なタイミングで温かいご飯出してくれるけど、これって私が帰ってくる時間がわからないとできないよね?なんでわかるの?』

母はうなずいて種明かしをしてくれました。

母「無垢がね、時々スーッと玄関の方に行く事に最近気が付いたのよ。」

『うん、早く帰ってくる日はいつも玄関で座って待っててくれてるもんね。』

母「呼んでも来ないからどうしたのかなと思ってたんだけど、10分ぐらいすると湊が帰ってくるってわかったから無垢が玄関に行った日は食事の準備ができるの。」

なんと、無垢と母の連携プレーのおかげで私はすぐに夕食が食べられていたのか・・ありがたや~

『ん?でもいつも帰ってくる時間バラバラだよ・・それでも無垢はちゃんと10分前に玄関に行くの?』

母「不思議だよね~なんでわかるんだろうね。居間で寝てても急に起きてスーッと玄関の方に行くわよ。」

10分前だとまだだいぶ遠くの方にいるから車の音が聞こえるとも思えない。

なぜわかるの?無垢・・不思議すぎるよ。

戦闘ねこじゃらし

愛猫 黒猫無垢の話 11

無垢が我が家に来た時に、姉が哺乳瓶やミルクなどを持ってきてくれました。

その中に「ねこじゃらし」も2本入っていました。

今のねこじゃらしはキラキラしたものなどがついていて華やかですが、当時のじゃらしはプラスチック製のエノコログサ。とってもシンプルだけどフサフサ部分の色だけはド派手でした。

無垢が黒い毛玉からネコ型のフォルムになった頃、棚にしまってあったねこじゃらしを見つけました。

『ねこのおもちゃか~これを振ればいいのかな・・ん?』

無垢がお尻をフリフリしながらこちらを見ていました。目がじゃらしにロックオンされています。

もしやこれは・・戦闘態勢?

パタパタと振ると無垢がじゃらしに飛び掛かってきました。口にくわえようとしたり抱えて足でケリケリしたり。

『なるほど・・これで狩りを覚えるのか。』

じゃらしの先をいもむしに見立てて、ねこじゃらしを動かしてみました。

ますます興奮しながら飛び掛かってくる無垢。

遠くの方から狙い定めてお尻フリフリする姿がかわいすぎてもう・・(鼻血)

無垢はじゃらしを捕まえようと元気に走り回ります。じゃれるなんてものではなくそれはもう狩りの様相。

私は無垢につかまらないようにじゃらしを動かしました。

大きく左右に振る。上下に振ってジャンプさせる。先を地面につけてグルグル回す・・などなど。

高速移動するいもむしを追ってバタバタ走り回っているうちに疲れてしまったらしく、途中でうつぶせになってハァハァと息をする無垢。

しかし目はじゃらしから離しませんでした。

お尻フリフリがかわいいとほほ笑みながら見ていた母が「その使い方で合ってるの?」と聞いてきました。

多分、私の使い方は正統派ではなかったと思う。

『無垢は男の子だから少しは鍛えた方がいいかなと思って』

その後の無垢は、じゃらしを軽くパタパタするだけでは全く反応なし。

とってもアクティブな動かし方をしないと飛び掛かってこなくなりました。

こんな感じで毎日激しく遊び続けた結果、無垢はとても狩りが上手な雄に育ちました。

そういえば、よく捕まえた雀を見せにきてくれましたね・・それもわたしが食事をしている時に。

はたして「足りんなら食べる?」だったのか「俺も一緒にここで食べようかな」だったのか・・💧

経験者の言葉に勝るものはない

特別お題「わたしがブログを書く理由

孤独だった自分がブログから知識を得て救われたので、今度は自分からも発信したくなったから』これがブログを書いていた理由です。

娘の出産後から、娘の発育の遅さに悩み、ただひたすら育児書を読んでため息をつく生活を2年半ほどしていました。

この一番つらかった時期にブログの存在を知り、いろいろ書いていたらもう少し気持ちが楽になっていたかもしれませんが、当時はあまりにも気持ちの余裕も時間もなさ過ぎました。

育児で何が一番きつかったかと聞かれたら、自分のペースでまったく動けなくなった事と答えます。自分の自由時間はほぼなくなったと言っても過言ではありません。

娘は不安が強い子で、私の姿が見えなくなると必ず号泣するため、トイレ・風呂すらゆっくり入れませんでした。

睡眠時間は夜泣きで削られるうえに昼寝もしないので、仮眠をとる事も厳しい状態でした。

次第に極端な睡眠不足に陥り、思考や動く気力を奪われて最終的には引きこもりになっていました。

たまに買い物に出ると、娘を見たおばあさんから「かわいいお孫さんですねぇ」と言われてしまうぐらいには老けてました。睡眠ってほんと大事。

せっかく声をかけてくれたのにわざわざ訂正するのもと思い「えぇ、ほんとかわいい自慢の孫です。」と答えた私はきっと間違っていない。(当時30代)

ハイハイすらする気配がない事を誰にも相談できず、不安で孤独な毎日を送っていたところに突然の転機が訪れました。

主人の2ヶ月間の海外出張です。

発達の遅れには無頓着だけど、育児には協力的だった主人が出張でいなくなると聞き、この世の終わりが来たかのような惨憺たる気持ちになりました。

しかし、いざワンオペを始めてみると、予想に反して気持ちに余裕がでてきました。なんというか・・とっても楽。

ずっと主人と娘の生活に合せた生活をしていたけれど、この期間は娘の事だけ気にかければよかったからだと思われます。

特に大きかったのは食事の支度。自分一人だけなら納豆ご飯やふりかけご飯で適当にすませられますから。

この時間のおかげで気持ちに余裕ができ、ようやくインターネットで情報収集しようとする気力が沸いてきました。

30分ほどの貴重な自由時間を、主に発達が遅れている子を持つ親御さんのブログを読むことに使いました。

短時間でもとてもいい気分転換になりました。

自分だけが悩んでるわけじゃないと孤独感は薄れていき、知識を得る事で不安が少しずつ軽くなっていきました。

『やはり経験している人の言葉は重みがあってすごい。娘の発育はもう育児書では参考にならない』(タイトル回収)

私は今まで必死に読んできた育児書をすべて捨てました。

今になって思えば、この行動は障害受容の最初の一歩だったのかもしれません。

それまでの私は育児書を見ては「ちょっと他の子より遅いだけ。いつか追いつくはず」と無理に思いこもうとしていましたから。

よくある話かもしれませんが、ブログを読んでいくうちに今度は『自分からも何か伝えられる事を書けないか』と考えるようになりました。

しかしいくら不安が軽くなったとはいえ、娘の成長は止まったままですから悩みがなくなったわけではありません。

睡眠不足も続いており、気持ちはあっても書くまでには至りませんでした。

書けるようになったのは、娘が発達障害であると病院で診断されて気持ちが楽になってから。

相談できる場所ができて一人で悩まなくてよくなったので、やっと『書くぞ』と思えるようになったのです。

ただ、全国発信となるとかなり勇気がいります。自分の稚拙な文章力では読んでもらえるかもわかりません。

何度も何度も下書きをしては消すを繰り返しました。

納得いく文がなんとか書けて意を決して投稿。初めて読者申請された時は驚きと喜びで飛び上がりました。

単純な私は一気にモチベーションがあがり、それから15年ほど発達障害やいじめ・不登校をテーマにしたブログを書き続けました。

2回ほどトピックにあがった時に、たくさん読者申請がきて焦って逃げかけた事も今となってはよき思い出です。

娘が思春期にさしかかった頃から、だんだんブログの方向性に悩むようになりました。

自分の事をブログに書かれるのは嫌だと言いだす日が来るかもと考え、少しずつ更新頻度を減らしていきました。

娘は「私の画像ないし別にいいよ」と言ってくれてはいますが、そろそろアメブロの方は閉鎖をしようと考えています。

はてなブログは、好きな時に好きな事をゆる~く書きたくてアカウントを再始動しました。

テーマを決めたり、何かを人に伝えるのを目的に書くのではなく、ただ思い出話をするような感じで書きたい。

過去の自分がアメブロで書いてきた内容も、年齢を重ねた今の私が新たに書いたらその時とはまったく違った感じになるかもしれません。

今後は老化防止も兼ねて、ゆっくり楽しみながら書いていきます。